飛騨の匠について

飛騨の匠の歴史

その昔、5世紀後半から6世紀頃の大和時代では、天皇が変わる度に都が変わり(遷都)宮殿造り、都造りが相次いでいました。飛騨からも大勢の人々が宮廷や寺院の建築に従事していましたが、さらに朝廷は718年、租、庸、調などの税のうち、庸、調を免ずる代わりに飛騨の工匠を里ごとに10人出せという「斐陀匠条」を規定しました。
ここから約500年に渡り延べ4万とも5万ともいえる飛騨人が都造りに命を懸けてきました。
斐陀匠条とは律令であり、今でいう憲法である。日本国を統一するための法に飛騨の国を令の一部に加えるという事は、いかに朝廷が経験豊富な技術集団を必要としていて、飛騨人の木工に対する技術や魂(こころ)、人柄を高く評価していたかがわかります。
匠の中には徴用の任期を終えた後も都にとどまり勤務を続け、従八位上にまで昇進した者もありました。
このように小さな飛騨の国から大和に来て、都造りに携わった卓越した技能集団を人々は「飛騨の匠」と呼び、全国に広まっていきました。


現代に息づく飛騨の匠の技術

約1300年前に都造りの中心で生きていた飛騨の匠の志と技術は、途切れることなくはるかな時を経て現代の匠に受け継がれています。
それは我々高山建築組合員が建てる家に感じる事が出来ると思います。